自分の感情と向き合うとは?

 

こんばんは、さとうみゆきです^^

 

 

「自分の感情とちゃんと向き合っていますか?」

そう訊かれたとき、あなたは何と答えますか?

 

以前のわたしは、

「もちろんです!もう、ほとほと嫌になるくらい、何十年も、向き合い続けてます!」

 

と、自信満々で答えていました。

 

 

このところ、著名な方、身近な方も含め、
さまざまな分野の方が、

 

「人生を航海するにあたり、思考ではなく、あなたの感情のナビゲーションを大切にしなさい」

 

と言うようなことを、
切り口は違えど仰っていることに、
あなたも氣づきはじめ、
「感情の声を聴く」を、
実践されている方も多いことと思います。

 

「違和感」を感じたら止まれ!とかね^^

 

 

でも、この「感情」のアンテナ自体
折れていたり、曲がっていたり、
麻痺して感度が落ちていたらどうでしょう?
ナビゲーションも本末転倒です。

 

 

また、そもそも「自分の感情と向き合う」とは、
具体的にどう言う状態を指すのでしょうか?

 

 

わたしは、長いこと、
この「感情と向き合う」を、

「不快な感情を何らかの方法を用いて取り除き、巧く処理をし、心地良い自分であろうとすること」

だと思い違いをしていました。

 

つまり、

 

「向き合う=処理する・取り除く(改善する)」

 

ことだと、無意識のうちに変換していたのです。
もちろん当時は、勘違いだなんてこれっぽっちも思いもしません。

 

 

「向き合う=処理する・取り除く(改善)」出来そうなセミナーやセラピーがあると聞けば、
とにかく必死で学びました。
そして、その間は、いま、まさに、感情と向き合えているんだと、思っていました。

 

 

自分の中に渦巻く、どす黒い何物かを排除することさえできれば、
わたしの人生は明るく、スムースで、清々しいものになってゆくはず・・。
わたしは、わたしを好きになれる・・。
そう信じていました。
そして、それらは、事実、(改善)効果も確かにみられたのでした。

 

 

「感情の処理=感情と向き合うこと」と言う考え方に、
違和感を覚え始めたのは、
ちょうど1年ほど前のことでした。

 

 

今も2か月に1度お世話になっている、
エッセンシャルボデイワークコンサルタントの
長島由利子さんのボデイワークを受けるようになったことがきっかけでした。

 

 

前にも書きましたが、
りこさんのボデイワークは、

「この世の天使たちが、ひと時疲れた羽根を休め、癒しを得る場所」

と言った類のボデイワークではありません。^^;

 

セッション中のある工程において、
これは出産か?はたまた陣痛か?と言うほど、白目を剝き、
悶絶するほどの痛みに耐え抜かねばならない局面があるのです。

 

 

初めて体験したときは、
その最中のあまりの痛みに、
口からおのずとあふれ出た罵詈雑言と
悲鳴と怒りの絶叫の嵐の中、
ただただ、力なく委ね、漂うしかないわたしがおりました。

 

けれども、ボデイワークが終わった後は、
不思議とこれまで生きてきた中で
一番穏やかで凪いだ心持ちだったことを今でもはっきりと覚えています。

 

驚いたのは、
あんなに普段から巧く処理出来ていると思っていたわたしの「どす黒い感情」は、
解放も、改善もされていないどころか、
単に腹の奥の奥の方に押し込められていただけだったことでした。

 

つまり、「処理できている」と思い続けたことで、
感情が「麻痺」してしまっていたのでした。

 

 

その日からわたしは、
自分の「感覚」・「感情」を、もう一度取り戻すことを決めました。

 

手始めに、これまでしてきた「感情への対処」を一切止めてみました。

 

以前は湧き上がった瞬間に、
「処理」のスイッチを入れていた
「怒り」や「嫉妬」、「悲しみ」、「憎しみ」の感情を、
そのまんま、感じてみることにしたのです。

 

「感情」を”そのまんま感じる”とは・・・

 

例えば、

 

熱湯が入っているバケツに手をズボっと突っ込んで、
「熱いなあ」と感じることによく似ています。

 

ミミズが1000匹入っているバケツに全身を浸して、
「氣味が悪いなあ」、「にゅるにゅるするなあ」、
「べとべとするなあ」と感じることに似ています。

この時、

「ミミズに噛まれるかもしれない」
「ミミズの匂いが髪に残るかもしれない、嫌だなあ~。」
「ミミズにこんな目に合わされるだなんて、わたしのどこがイケなかったんだろう?」

 

と考えるのは”思考”であって、感情ではありません。
あくまで感じるのは「感情」のみです。

 

もちろん(本物のミミズ風呂に入ってるわけではないにしろ)、
その不快さに、最初は長時間感情と向き合うことは無理でした。
それでも、毎日、少しずつ、諦めずに、
ただ「感じる」ことだけを、
しっかり時間をとり、続けていました。

 

人によっては、「感情」を観じ切ると、
途中でふっと身体がゆるんだり、氣持ちが楽になる・・・
などと仰る方もいますが、
それを期待し、その状態を「思考」で考え始めると、
また「感情」から切り離されてしまうので、
楽になろうがならなかろうが、
とにかく、「感じる」と決め、向き合い続けました。

 

こんな地道で、先の見えない(しかも無料の)セラピー?は、
正直、初めてでした。(笑)

 

 

合間、合間に、りこさんのボデイーワークに伴走してもらい、
身体と感情との関係性を深化させつつ、
そんな日々の積み重ねが10カ月になろうとしていた、
先日の朝のことです。

 

 

前の晩、ひどく「怒り」を覚える出来事があり、
ベッドの上で、その「怒り」を感じながらそのまま眠りにつき、
朝起き上がったわたしは、自分の身体の異変に氣づきました。

 

 

身体の、節々がひどく痛むのです。
特に胃の下方あたり。それから首の後ろ。
また、皮膚には、何かを表に出すまいとして必死で堪えた痕跡のような、
外側にぐいと引っ張られたようなダルさが残っています。

 

 

以前は、「眠りが浅かったのかな?」で片づけていた感覚ですが、
この朝ははっきりとわかりました。

 

「あ、これは、”怒り”を身体が必死に受け止めてくれた故の痛みだ!」と。

 

考えてみたら、過去、何度も、何度も、こんな朝を迎えていました。
その度に、

「布団の硬さが悪いのかな?」

「ベッドのクッションが合ってないのかな?」

「眠りが浅かったのかな?」

そんな風に思ってきたけれど・・・。

 

 

わたしはその時初めて、
自分の「身体」が、
これまでどれだけの「感情」の負荷を、
耐えて来てくれていたのかを悟ったのです。

 

生まれてから、今までずっと。

文句ひとつ言わず。

いや、むしろ、
そのことを最初から知りながら、
わたしの「身体」として生きることを選んでくれた。
わたしが「感情」を感じることを何度でも赦し、
と言うより、わたしがそうすることを、何よりの歓びとし、
また明日も、前に進めるように、
黙々と調えてくれていた、この身体・・・。

 

 

わたしは、わたしに、
生まれてからずっと、無条件に愛されてきた。
赦されてきた。

 

そう思った瞬間、
なんだか涙が止まらなくなりました。

 

永遠に途切れないんじゃないかと思うほどの、
「ごめんなさい」と「ありがとう」を繰り返しながら、
ものすごい安心感に抱かれて・・・

 

この言葉を発しているのは、

 

わたし、なんだろうか?
でも、わたしじゃないとしたら、
いったい・・・、誰?

 

自分と言う意識の輪郭が、
濃くなったり、薄くなったり、点滅する中で、
これが「愛」なのかな・・・
そう心から思っていました。

 

 

だって、身体があること、いま、この世に在ることって、
当たり前過ぎじゃないですか?
みんな、知ってることじゃないですか?
もう、ワケが分からなくなっていました。

 

 

 

 

そして、このタイミングで、明後日、木曜日は、
再び、りこさんのエッセンシャルボデイワーク。

 

 

これまでずっと、
「どうして、こんなに痛むんだよー!わたしの身体のバカヤロー!
むかつくアイツのバカヤロー!」と絶叫していた時間でしたが、
たぶんね、明後日は、違う。
身体とわたしは、もう、別々の何かではないのです。

 

 

「身体さん、ずっと、わたしと共に痛んでくれてありがとう。ごめんなさい。」

 

そんな氣持ちで、受け取りたい。

物理的には「痛み」なんだけど、
もう「痛み」じゃないんだろうな・・

そう思っています。^^

 

 

そして、書きながら、いま、氣づいた。
わたしが、自分の身体にずっと伝えられていなかった、

 

「身体さん、ずっと、わたしと共に痛んでくれてありがとう。ごめんなさい。」

 

 

は、ずっとりこさんが、わたしの代わりにわたしの身体に
ボデイワークの間中、伝え続けていてくれたことだった、ってこと。

あー、人に本気で伴走するって、こう言うことか・・・
ため息出ちゃうよ。

すごいな・・・

[ 自分の感情と向き合うとは? ]氣づき2017/06/26 21:55